卒業文集古典
お母さんの役目、お母さんのやさしさ
子育てについて弟が本を書きました。
結構面白かったので、ご紹介したくなりました。
身内ですからひいきしています<大笑い>
でも読むに耐えると思っています。
ある大会社の重役さんから批評いただいたそうです。
「児童心理学者か小児科の先生か、はたまた教育関係の仕事?・・・その何れ にも属さず、しかも生協のサラリーマン 生活からの転進で、幼児から大人になっていく過程、妊娠から出産にいたる女心理 に至るまで、単に勉強するだけでは得られない本質を、物の見事に体得していることは、恐らく本人にも気がついていなかった潜在した天才的能力がスイミング・乗馬クラブの経営を通じて顕在化したものだと思う。」
「今の社会情勢から起きる親子に絡む凶悪事件の分析も実に見事!それに対応するマニュアル化も見事!」
私も身内ですが現実的な考えかたに賛同しています。
少し目次から
『第1章 やさしいお母さんになれる(スイミングクラブ3つの詐欺/子どもが感じる大人の暴力/子どもの発達段階と理解力/両足ジャンプが始まってからの友だち作り/お父さんの育児責任)/第2章 心理分析に学ぶ子育て論(「行動の記録」という心理分析/タイプ別への対処の工夫/親子分析の事例)/第3章 大競争時代に立ち向かう子育て(しつけより親子喧嘩を/良い子の意味の変化/これからはデフレの大競争社会/「学校第一」の子育て観の見直しを) 』
では身内の宣伝を
[PR]やさしいお母さんになれる子育てヒント
子どものこころ大人のこころ増補改訂
三丁目の夕日を見て自分の生きてきた時代をたどる事が出来ました。
ALWAYSとは「いつものように」とか「ずっと永久に」などの意味を含んだ言葉です。
三丁目の夕日のラストで鈴木オートの親子が夕日を見る場面があります。
夕日がとてもきれいだと見続ける両親に、息子の一平が
「夕日は、今日だけでなく明日も、そして50年たってもきれいなもの」
との言葉で第1作が終ります。
そんな叙情のとらえ方を、私は昭和ロマンと呼びたいのです。
三丁目の夕日で芥川賞、芥川竜之介が主題になっていました。
吉岡秀隆ふんする茶川龍之介を見ているうちに自分の子供時代を鮮やかに思い出したのです。
ちょっとあつかましいのですが作文を淳之介君のように書いてみました。
昭和30年代でなく、昭和20年戦後まもなくのことです
龍之介のトロッコの一部
「小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは、良平の八つの年だった。良平は毎日村外れへ、その工事を見物に行った。工事を―といったところが、唯トロッコで土を運搬する――それが面白さに見に行ったのである。
トロッコの上には土工が二人、土を積んだ後に佇んでいる。トロッコは山を下るのだから、人手を借りずに走って来る。煽るように車台が動いたり、土工の袢天の裾がひらついたり、細い線路がしなったり――良平はそんなけしきを眺めながら、土工になりたいと思う事がある。」(芥川龍之介 トロッコより)
私の思い出体験ー
こんな田舎に鉄道を敷くために、線路工事の工夫さんがトロッコを押しながら少しずつ線路を敷設して、その状態などをチェックしていたんでしょう。龍之介の主人公良平と同じように、トロッコを押させてもらうのがなんとも嬉しく、誇らしく思えたんです。
平坦な場所になるとトロッコに乗せてくれます、時間を忘れて押しては乗りを繰り返して、終点に着きました。工夫さんたちの工事小屋なんです、それは自宅から数キロ(当時1里と言っていましたね)の小野谷と言う峠でしたがそこに着くと工夫のおじさんが「ごくろうさん、はよ帰らな日が暮れるで」と言うんです。
私としてはその人たちも駅まで帰るものだとばかり思っていたので、びっくりしてしまいました。
「われはもう帰んな。おれたちは今日は向う泊りだから」
「あんまり帰りが遅くなるとわれの家でも心配するずら」
良平は一瞬間呆気にとられた。もうかれこれ暗くなる事、去年の暮母と岩村まで来たが、今日の途はその三四倍ある事、それを今からたった一人、歩いて帰らなければならない事、――そう云う事が一時にわかったのである。良平は殆ど泣きそうになった。が、泣いても仕方がないと思った。泣いている場合ではないとも思った。彼は若い二人の土工に、取って附けたような御時宜をすると、どんどん線路伝いに走り出した。
(龍之介 トロッコより)
もう本当に暮れかけていました。
連れて帰ってとも言えず、心細いまま黙って枕木につまずいたりしながら走り出しました。どんどん暮れていきます、多分秋でした。
田んぼで籾殻を焼く煙があちらこちらでたなびいています、夕暮れはそれこそつるべ落としどんどん暗くなってきて、大声で泣きながら走りました。
1時間はかかる距離です、走ると言っても石ころと枕木ですから、つめから血が出るは、転ぶやで散々でしたが、痛いとはちっとも思いません、それより暗くなる恐怖がどんどん膨らんで、怪獣かなんかが襲ってくるという錯覚と言うより現実感が充満したのを今も思い出します。
このときの記憶で一番心で観たものは、やっと自宅に近くなって「山上」という集落の上に来た時、下の集落が何時もの風景でただ夕暮れ迫る風景、田んぼで野焼きする煙が上に昇らずサアーっと横にたなびく煙の風景でした。
「サアーっと」横に流れる不思議に美しい煙を見た初めての経験でした。
転んで傷だらけ、爪もはがれて血だらけ、転んで破れた衣類など何の記憶もありません。
後で母親や兄弟たちが、同情どころか
「何であほなことをしたのか」「どんなに心配したのか」
そんな言葉でした。
でも今日でも覚えているのは、あのときの心細さと、煙が上にだけ行かない煙を下に見ればすごいきれいなもの、それは記憶というより目の底に今でも焼きついています。
突然思い出した、個人的な記憶をあつかましくも芥川龍之介の小説を引き合いに出して書いてしまいました。
でも本当に、トロッコの良平は自分自身だと思ったのです。
だから多めに見てお許しください。
[PR]ALWAYS 三丁目の夕日
[PR]三丁目の夕日傑作集(その4)
●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●
■ 発行者: 須久 凛
追伸
こだわりのシニア向け商品選抜
シニア市場 情報サイト!!
作文 番外編「いとこ会」
今晩は今夜は私的なことですが昨日あった「いとこ会」のことを書きます。
私は、母方しかいとこがありませんそれでも25人兄弟いとこがいました昨日は、すでに亡くなっているいとこ4人と出席できなかったいとこ3人を除く18人の参加でした。
最高齢で84歳から58歳まででした今後、ありえないことになるでしょう。今の少子化社会で、もう不可能な事になるかもしれません。
ういう意味で価値ある会だったと思います。本家に集まったみんなが、いとこの一人が代表してお坊さんになり、仏壇でお経を上げました。
その後はお定まりの宴会でしたが、みんな子供のときからの付き合いですから、何の違和感もなく盛り上がりました。
上記の写真は、前回の(3年前)会のときに、みんなが読んだ俳句の色紙です。おじいさんが、俳句が好きだった事にあやかり、おじいさんの50回忌記念の作品です。
見にくいですが、なかなかの作品ばかりです、その作品もさることながら、みんながおじいさんの事を思い出し、感じたことに大きな価値があると思い、よい記念品だし、それを額に入れて保管してくれているいとこに感謝・感謝でした。
●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━● ■ 発行者: 詩音 魔
■ 連絡先 hiro1633@leto.eonet.ne.jp
作文に見る戦後教育のはじめ
「しかられて はしもとかずお」
「僕達のうけ持ちの先生はこたに先生です。
ある日学校へ来て勉強をならっていたら一人がしゃべったのでぼくもしゃべっていたらそこえ先生が来ていました。
しゃべっていた人は前へ出なさいとゆわれたので僕が出たら、こたに先生はごんけつで僕の頭をたたかれたのです。
なきそうになったがなかなかった、前で立っていると先生はこれからは立ったりさわいではいけないといわれて僕はいすにこしをかけて勉強をやった昼ごはんがすんだ外で元気よくあそんだ。」
こたに先生というのは、戦前からの先生で、お寺のお坊さんでした。
「ごんけつ」は「げんこつ」の事で、この先生は「ハァー」とこぶしに息を吹いて、とにかくよく頭をゴツンとしていたのを覚えている。
そのせいでもなかったのでしょうが、この年で先生を辞められたのを思い出します。
この作者、橋本君にはほとんどこたえなかったようですね、でもこんな作文を残したことから言えば、案外こたえていて強がりを言っているのかなとにかく教育現場が、戦争を境に激しく変化して行った事が、この作文からも伺われます。
●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━● ■ 発行者: 詩音 魔
■ 連絡先 hiro1633@leto.eonet.ne.jp
古典作文から「お金のなかった頃の日本」の思い出
「しんぼう強い父 くちむら いさお」
ある日の出来事だった。貴生川小学校にも、子供ゆう便局が出来たときの事です。
先生がすこしのお金でもいいからむだつかいしないでちょ金しなさいと答えた。ぼくもそうだ、むだづかいをしないで、ちょ金しようと思いつき帰っておばあさんにたのんだ。
するとおばあさんが話してくださった。
お父さんの小さいときはね、それはかわいいもんだったよ、お前たちはお金がいるとお母さんお金おくれとなんとも思わないでもらうが、お父さんは、お金が欲しい時はねえ、どんなの学校がおそかっても水をくんで来て、えんがわをふいたりしたんだよ。
えんがわをふく水が冬のどんなに寒い時でも、ゆなどつかってはいけなかったんだよ、そのことを思うとおまえたちは幸福だね。
お父さんの子供の時とぼくたちの生活をくらべてみると、まるで神様のようだ、お父さんありがとう、ぼくもそれからは家のお手伝いをしようと決心しました。」
そういえば、子供郵便局が出来たなぁ 郵便局の役に成績のよい子が、局長とかそんな役をしたのを思い出します。
戦後の日本のお金不足に、これまでしたんだと思うと、今の金持ち日本が信じられませんね。何しろ、子供のお小遣いまで、国が使おうとしたくらい切羽詰っていたんですから。
この作文を書いた友人は、2年位前なくなりました。
中学校で、同じバレー部のセッターでしたのでよく覚えています。繊維関係の会社に行って、真面目にこつこつ働く人であったことを、共通の友人である親友から聞いた事があります。
この作文は、彼の性格をよく表していて、このお父さんのように実直に生きた人でした。そんなにお金持ちになったとは聞きませんでしたが、とにかく真面目に仕事をし、生活した人です。
彼が存命のとき、同窓会の2次会のセットに「カラオケ」を予約したときの、すみずみまで気の使った気遣いを思い出したした。 ●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━● ■ 発行者: 詩音 魔 ■ 連絡先 hiro1633@leto.eonet.ne.jp
作文古典「感動の詩」
「雪はいいな おちたい時に ふるのだから」
「詩 冬休み たにぐち ふみえ」
たのしい冬休みが来た雲からちらちらと風のようにおちてくるつもった
つもったたかくたかく
つもった雪はいいな
おちたい時にふるのだから三年生の子供をおいわいにきたんだよとでむかえに来てくれたもう
お正月だ早くおきておくれともいって よんでくれる冬休みはいいなー
ゆきだるまでも出来るし雪がっせんまできるし
冬休みも 雪もいいな
三年生の時の谷口さんの詩です実は驚きました。
谷口さんはそんなに成績のよい人ではありませんでした。
こんな感性・・・知りませんでした。50年目の感動です。こんな言葉をお持ちでしたのです。あなた、ひたすら自分の感動にわれを忘れる事をお許しください。
こんな事があるんですね、50年目にその人の本当の感性を発見する・・・・・・・
「雪はいいな おちたい時に ふるのだから」 参りました。
3年生といえば、昭和25年でした。「おちたい時に」は彼女の何を表現したのでしょうすごく気になります。
たぶん今聞いても、そのときの事を彼女も答えられないでしょうねそれくらい私には、意外で感動的な言葉でした。あなたはどうお感じでしょう。
50年の月日は、50年前の「今」をこんなにあざやかに映すものでしょうか ●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●
■ 発行者: 詩音 魔
■ 連絡先 hiro1633@leto.eonet.ne.jp
邦画劇場 珠玉の言葉「鏡の法則」の全部を是非味わってください。
「戦争はいやだ なかにしはるこ」

小さい時から、一度も見たことのない兄さんが再びこの家に帰り、平和な月日を送りたいと思っていたのに、悲しい便りが来た。
兄さんは戦死されたという事です。兄さんがもう一年まっていたら終戦だったのに、戦争に行かないとしんぼう強くしていたのに、お母さんがいかせた。そして、今日戦死者の家の人が天理教へ行かれた。
私は、おばあちゃんといっしょに行った。なんとたくさんの戦死者がいるではないか。こんなに人を殺した戦争は、絶対にしない。スイスの国のように、明るく、平和な国になろう。
世界の国と手をつなぎいつまでも戦争が起こらないようにしよう。一人ひとりが豊かな水の流れのような心を持って生きていこう。!
「一度も見たことのない兄さん」 この同級生は、旅館の一人娘であった記憶があります。その人の兄さん、兄弟を一度も見ないまま戦死の知らせを受ける。
これは、今、はじめて知ったことです。 そんな事が同級生の中にいっぱいあったので、当たり前のように記憶すらしなかった自分を恥じます。
「戦争に行かないとしんぼう強くしていたのに、お母さんがいかせた。」この言葉に意味は、胸を刺します。「母親が行かせた」小学校3年生の彼女にそう書かせた、この作文は、前回の谷口さんの詩の感動とまた違う、厳しいものを感じました。
はるこさんがその後母親にどう接したのか、分かりません。許せない気持ちを持ち続けたのかもしれません。 あなたにとってこの作文どんな事をお感じでしたでしょうか? 私には、ずいぶんこたえましたが・・・ ●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●
■ 発行者: 詩音 魔
■ 連絡先 hiro1633@leto.eonet.ne.jp
邦画劇場 珠玉の言葉「鏡の法則」の全部を是非味わってください。
古典的「学芸会」の作文

「学芸会 にしかわ さよこ」
さくらの花、学芸会をまっている。いよいよ学芸会の練習にいそがしくなって来ました。 私たちは、「ひよこ」という題で出ました。
私の役は、ひよこ七に出ました。そして、雨森さんが親鳥の役でした。私たちは、ひよこなので、雨森さんがされるのをまねして覚えるのでした。
それで一しょうけんめい練習しました。
いよいよ予行演習が近づいて、来ました。その日は、小学校全部のげきやゆうぎなどを見せていただきました。
本日の日には、家の人が見に来られるのです。私は予行演習の日より、ずっと上手に出来たと思いました。だんだん終わりにちかづいて来ました。
私たちが終わって、いろいろ話し合いました。小さいときなので、あのしょう明はまむしかったとか、まむしなかったとかいろいろ話していると先生は、服をきかえたら、すぐ帰ってよろしいといわれたので、いそいで服をきかえて、服をたたみいそいでお家に帰りました。」
当時の3年生の作文です。「予行演習」の言葉に注目ください。
いわゆるリハーサルの事ですが、いかにも終戦間もない状況がうかがわれます。 運動会の練習時にもこの予行演習の言葉が使われていました。
何時ごろからこの言葉が、死語になったかの記憶はありません。 あなたはどうお感じでしょうか?終戦記念日の今日、私にはとても感慨深い言葉です。
そのほかにも戦時中の言葉の表現がたくさん残っていたのを思い出します。また「まむしかった」はまぶしかったのことですが、方言ではなく、子供の頃の通常語でした。こんな幼児的な言葉もたくさんあった気がします。
この作文から、写真を見ていただければお分かりの通り、普通の服装での学芸会で、今では考えられないみすぼらしさが伝わってきます。
それが当たり前の光景だった事、あなたはどんな印象をもたれましたでしょうか?もしよければコメントいただければ大変うれしく思います。
あなたのお声から、いろいろな事を知ることが出来そうに思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。 ●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●
■ 発行者: 詩音 魔
■ 連絡先 hiro1633@leto.eonet.ne.jp
珠玉の言葉「鏡の法則」の全部を是非味わってください。 楽しい名セリフを自分のものにしましょう
作文の古典 「頭のいい同級生」
「きんろう感謝の日 とりもと のぶよし
十一月、六年生のお兄さんや、お姉さんたちが、今までいっしょうけんめい畑をかいこんしてうえたいねの取り入れの時が来た。四年生以上の人がはたらいて一日目はかりとられた。
二日目は、もみすりでとれたお米はふごに入れられました。このしゅうかくの、おいわいとして、十一月二十三日の勤労感謝の日に、全校児童に、おすしの給食が、いただけました。
ぼくははたらいてくれた人に、かんしゃをしながらおいしくたべた。」
この作者とは、大学まで同じ道を歩きました。予備校まで一緒。彼は小学校時代、生徒会長をしていました。
ここで皆さんにお断りしたい事があります。この文集が卒業時にかかれたものだと思っていたのですが、彼の文章を見て気付きました。
彼が小学校2年生のときに書いた作文である事が分かったからです。先生がそれぞれの作文の一つ一つを選んで文集にした事が分かり、その気持ちが大きな事である事がいまさらながら感謝の言葉になります。
ともあれ、文集の内容に触れます。彼は優等生でした、しかし時に学校に来ないで一日中近くの川ですごすタイプの少年でもありました。この文集にその要領のよさが出ています、私にはよく分かります。
「きんろう感謝の日」の題材、「ぼくははたらいてくれた人に、かんしゃをしながらおいしくたべた。」の文章は、彼を知る私には、吹き出したいくらいです。
ジツに先生の気持ちをとらえる事がたくみです。こう言っておけば先生が喜ぶのだと、子供らしくない作為が感じられます。 (本人をよく知っているだけに分かる)
でもその中に書かれた、「十一月、六年生のお兄さんや、お姉さんたちが、今までいっしょうけんめい畑をかいこんしてうえたいねの取り入れの時が来た。」の記述は思い起こさせます。
当時(昭和20年代)の農村では、田植のときと稲刈り(収穫)の時には農繁期休暇として、高学年の生徒は農家の手伝いをさせられました。
休みといっても一日中農業の手伝いですから、学校に行くより無茶苦茶しんどかった。農繁期休み(1週間位)が早く終わらないかとそればかり考えていた記憶がある。それでも、田んぼでおにぎりを食べた味は今でも残っている。
今風に言えば「むっちゃ うまい!」のだ。文集を読んでいると、当時の友達の顔や行動がよみがえり、楽しいというか、面白いというか、うそつけと叫んだりさまざまな自分を感じる事ができる。それこそ面白い。 ●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●
■ 発行者: 詩音 魔
■ 連絡先 hiro1633@leto.eonet.ne.jp
いたずら 2年生の作文
「ごめんなさい 山中先生 きのせ ひろみ
二年生の時ぼく達は山中先生におならいしていた時のことです。二年生になったばかりの四月つくしやたんぽぽがぬくぬくとのびていました。
朝先生が教室ヘ、入ってこられたと思うとごつんと頭にあた(数語不明)ぼくが朝学校へくると、みんながすずりぶたをのせるようにいっておられた。
すると始めに女の子が三人ほど入ってこられたがそれに気がついていたのかみんなどうもなかった。つぎからつぎと入ってこられたがすずりぶたはぱたんとゆかの上におちるばかりなかなかあたらない。
入ってこられた人はびっくりしておられたそれをぼく達は喜んで見ていたサイレンが鳴って先生がこられた。うん悪く山中君がのせたすずりぶたが先生にあたったあんな事はしてはいけないと思う。」(原文に出来る限り忠実に再現しています)
作者は、6年生で小学校時代の思い出を綴っています。作者にとってこのことが一番印象にあったのでしょう。
あなたは「すずりぶた」って何のこと?そう思われるでしょうね。その当時、戦後3年くらいの教室の机には右隅に縦長の箱がついていました。
そこに習字のための硯が入っていたのです。すずりぶたとはその箱のふたの事です。作者は、先生に申し訳ないようなことを、殊勝に書いていますが、当時の私たちの遊びのヒット作品だったのです。
漱石の坊っちゃんにもよく出てくるいたずらです。入り口の上にふたを挟み込み、開けると頭上に落ちてくる単純な仕掛けです。
それが先生にあたった。作者は先生に悪い事をした、と書いていますが、教室にいるほとんどが先生にあたることを期待して、内心ほくそ笑んでいたに違いありません。牧歌的ですね〜何もないすさんだ戦後のはずの田舎の光景です。
あなたはどう思われますか?今の小学校が荒れているといわれますが、何故なんでしょう。
今も昔も、子供のいたずら精神は変わらないと思うのですが、何か、子供がひたすら暴力的になっているようです。アニメや、ゲームを知った彼らにはこんな牧歌的ないたずらなんて多分幼稚なのでしょうね。いい悪いはともかく、50年前の風景でした。 ●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●
■ 発行者: 詩音 魔
■ 連絡先 hiro1633@leto.eonet.ne.jp
50年前の卒業文集 小学1年生
「1年生の思い出 のぐちよしお
学校帰り先生が桜のとこでまってたら先生がならべといって三本までおくって下さった。雨でも僕らは先生が校門まで送って下さってありがとうございました。
一年生から給食があってお母さんらがくばって下さった。休みの時早く学校になってほしいとおもった。(原文のまま)
学校があれば給食だけはある、野口君の思いがあのときをよみがえらせてくれます。 誰もが食べる事ばかり考えていました。
少し私の体験にお付き合いください。「たこ菜」なんてもの食べました。「たこ菜」滋賀の私の土地の方言です。あなたの土地では、「いたどり」と呼ばれるものです。「すかんぽ」とも言ったりしましたが、すっぱい野草の一種です。
やせた土手にも5月ごろいっぱい生えていました。柔らかい小さな竹のような植物ですが、ポキッと折って皮をむいて食べました。
、まだ残っていた戦争ごっこの遊び「水雷艦長」をしているときなどに、友達とよく食べました。野口君の言う事、それも卒業するときに一年生の思い出として書いた事は、あなたお分かりいただけるでしょうか・・・それほど食べる事だけ考えていたと言う事です。
今も、北朝鮮、後進アジアの国、アフリカなどのストリートチルドレンと全く同じ状況だったと思います。みんなそうだったから、特別自分が貧しいとは思いませんでした。 分かりにくいと思いますが、

上の写真が当時の私たちの体型です。太った友達は一人もいませんでした。だから、「純情きらり」NHK朝ドラを見ると、どうしても違和感があります。あんなきれいな服なんてなかったし、そりゃ仕方がないですね。
腹がへっていても、遊びに走り回るのは今の子供たちより多かったと思います。ほとんど暗くなるまで、うらの八幡さん(神社)で遊んでいましたね。
大きな声で、母親が呼ぶまで遊んでいました。電気もなくて、暗くなると本当に月明かりしか頼りのない時代だったのに、それも戦争直後の警察力もない時代でしたのに、安全でした。
不思議ですねぇー今は明るすぎて、人がいっぱいいるのに、すごい危険で、暗くなるまで子供が遊べません。
どう考えても、私には目に見える世界が明るいから犯罪が起きないなんて思えない。一番困った事は、目に見えない世界、人の心が真っ暗になって、真昼間に危険がある。腹が減るから、食べられないから、犯罪が多発する。
それはそうだと思いますが、なんかこの作文は、それだけではないような気もします。あなたはどうお考えでしょうか?よければコメントでもしていただければ、50年前の同級生がよろこぶと思います。
●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●
■ 発行者: 詩音 魔
■ 連絡先 hiro1633@leto.eonet.ne.jp
作文 50年前の卒業文集
今夜はすごいものをあなたに見ていただきたい。
先日の同窓会で会った、一人がすごい宝物をくれました。50年前の卒業文集ですよ。
こんなどきどきする感動、あなた分かりますか。
お若いあなた、あなたもやっぱり50年前を味わうのですよきっとそうなりますから、私の感動を一緒に味わってください。
昭和28年小学校卒業ですから、入学は昭和22年です。
終戦が(太平洋戦争)20年8月15日ですから戦争が終わってほとんど始めての新入生ですね教科書やなんかのことはおいおいお話していきますが、今夜はこの感激をただお伝えいたします。
ガリ版刷りの印刷です。

なつかしいとおっしゃる方もおいででしょうが、ほとんどの方はそんなものが印刷技術にあったことなどお分かりにならないでしょう。でもいいでしょう。
なんともいえない、ヘタッピーの文集なんて・・・これから多分1年がかりで、同級生の作文をたずねる事になるでしょう。
興味のある方もそうでない方も是非お付き合いください。今晩はこんなさわりだけをお話しておやすみなさい。あっそうそうこの文集80ページ位あったのですが、コピーして思いました。同じように紙の袋とじですが、コピーした紙は原本の4倍の厚さになりました。
50年残された紙は、いい紙ではありませんが、ちゃんと今も読む事ができます。コピーした今の紙は、何でこんなに分厚いのでしょうか。なんか、カナダの森を切り倒しているみたいで心が痛みました。では今晩はここまで・・・
●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●
■ 発行者: 詩音 魔
■ 連絡先 hiro1633@leto.eonet.ne.jp
珠玉の言葉「鏡の法則」の全部を是非味わってください。 楽しい名セリフを自分のものにしましょう

